リスク評価に基づく多要素認証(MFA)の適用判断:中小企業が効果的にセキュリティを強化する方法
デジタル資産を守る上で、多要素認証(MFA)は非常に効果的な対策です。しかし、限られたリソースしかない中小企業において、「すべてのデジタル資産やサービスに、同じようにMFAを適用すべきか」「どの種類のMFAを選ぶべきか」といった判断に悩むシステム担当者の方も多いのではないでしょうか。
本記事では、中小企業のシステム担当者が、自社のデジタル資産に対するリスクを評価し、そのリスクレベルに応じてMFAの適用レベルを判断する方法について解説します。これにより、限られたリソースを最も効果的に活用し、セキュリティを効率的に強化することを目指します。
なぜリスク評価に基づくMFA適用が必要か
全てのデジタル資産やサービスに最高レベルのMFAを適用できれば理想的ですが、現実的にはコスト、運用負荷、従業員の利便性といった観点から難しい場合があります。特に多忙な中小企業のシステム担当者にとって、優先順位をつけ、効率的に対策を進めることが重要です。
リスク評価に基づきMFAの適用レベルを判断することで、以下のようなメリットが得られます。
- リソースの最適配分: 重要な資産やサービスに対して、より強固なMFAを優先的に適用できます。
- コスト効率の向上: 不必要に高価なMFAソリューションを導入することなく、費用対効果の高い対策を選択できます。
- 従業員の負担軽減: 全てのサービスに同じMFAを強制するのではなく、リスクに応じた柔軟な運用が可能になります。
- セキュリティ効果の最大化: 組織全体のセキュリティ体制を、潜在的な脅威や資産価値に基づき強化できます。
デジタル資産・サービスの棚卸しと分類
リスク評価の最初のステップは、保護すべきデジタル資産やサービスを明確にすることです。
1. 保護対象の特定
組織が利用している主要なデジタル資産やサービスをリストアップします。
- SaaSアカウント(Microsoft 365, Google Workspace, Salesforce, 会計システムなど)
- 社内システムへのアクセス(サーバー、データベース、基幹システムなど)
- クラウドストレージ(OneDrive, Google Drive, Dropboxなど)
- リモートアクセス(VPNなど)
- 管理者アカウント(ドメイン管理者、クラウドサービス管理者など)
- 重要なデータ(顧客情報、機密情報、財務情報など)
2. 資産の重要度評価と分類
特定した各資産やサービスについて、組織にとっての重要度を評価します。重要度は、その資産が侵害された場合に発生しうる影響の大きさ(業務停止、情報漏洩、信頼失墜、罰金など)を考慮して判断します。評価の観点としては、以下の3つが一般的です。
- 機密性 (Confidentiality): 情報が漏洩した場合の影響度。
- 完全性 (Integrity): 情報が改ざんされた場合の影響度。
- 可用性 (Availability): 情報やシステムが利用できなくなった場合の影響度。
これらの観点から、各資産やサービスを例えば「高リスク」「中リスク」「低リスク」といったカテゴリーに分類します。管理者アカウントや機密情報を含むシステムへのアクセスは「高リスク」、一般的な業務で利用するSaaSアカウントは「中リスク」など、自社の実情に合わせて判断基準を設けます。
リスク評価の実施
次に、各資産やサービスに対して、潜在的な脅威と既存の脆弱性を考慮したリスク評価を行います。
1. 脅威の特定
対象となる資産やサービスに対して、どのようなサイバー攻撃やインシデントが発生しうるかを想定します。MFAに関連して特に考慮すべき脅威としては、以下が挙げられます。
- パスワードリスト攻撃/ブルートフォース攻撃: 推測しやすいパスワードや漏洩したパスワードリストを使った不正ログイン。
- フィッシング: 偽サイトやメールで認証情報をだまし取る。
- マルウェア感染: キーロガーなどにより認証情報が窃取される。
- ソーシャルエンジニアリング: 従業員をだまして認証情報を聞き出す。
- MFA疲労攻撃: 大量にMFAプッシュ通知を送りつけ、ユーザーに誤って承認させる。
- セッションハイジャック: 認証後のセッションを乗っ取る。
2. 脆弱性の評価
対象の資産やサービス、および関連するシステムや運用体制に存在するセキュリティ上の弱点を評価します。
- パスワードポリシーが弱い
- システムのバージョンが古い、セキュリティパッチが適用されていない
- 設定ミスや不適切な権限設定
- 従業員のセキュリティ意識が低い
- アカウントの棚卸しや権限管理が不十分
3. リスクレベルの算出(簡略版)
資産の重要度、特定された脅威の可能性、および存在する脆弱性を組み合わせてリスクレベルを判断します。例えば、簡単なマトリクス形式で評価することも可能です。
| | 脅威の可能性:低 | 脅威の可能性:中 | 脅威の可能性:高 | | :------------ | :--------------- | :--------------- | :--------------- | | 資産の重要度:低 | リスク:低 | リスク:低 | リスク:中 | | 資産の重要度:中 | リスク:低 | リスク:中 | リスク:高 | | 資産の重要度:高 | リスク:中 | リスク:高 | リスク:高 |
この際、脆弱性が高い場合はリスクレベルを押し上げる要因として考慮します。例えば、「資産の重要度:中」で「脅威の可能性:高」でも、脆弱性が低ければリスクレベルが「中」に留まる、といった調整も考えられます。自社の状況に合わせて、シンプルかつ実用的な評価方法を定めます。
リスクレベルに応じたMFAの適用レベル決定
評価したリスクレベルに基づき、各資産やサービスに適用すべきMFAの種類や強度を決定します。MFAの種類には、パスワードに加えて以下の要素を組み合わせるものがあります。
- 知識情報: PIN、秘密の質問など(パスワードと組み合わせると2要素認証になるが、単独ではMFAではない)
- 所持情報: スマートフォン(認証アプリ、SMS)、ハードウェアトークン、物理セキュリティキー
- 生体情報: 指紋、顔、声紋など
これらの要素の組み合わせによって、MFAのセキュリティ強度は異なります。一般的に、物理セキュリティキーや認証アプリ(プッシュ通知を除くワンタイムパスワード)、生体認証は強度が高いとされます。SMSは、SIMスワップなどのリスクがあるため、他の方法よりも強度が低いと見なされることがあります。
リスクレベルに応じたMFAの適用例を以下に示します。
-
高リスクの資産/サービス:
- 例: 管理者アカウント、財務システム、顧客データベースへのアクセス
- 推奨MFA:
- 物理セキュリティキー(FIDO/WebAuthn準拠)
- 認証アプリによるワンタイムパスワード(TOTP)+別の要素(例: 生体認証)
- 生体認証単独(パスワードレス認証と組み合わせる場合)
- ポイント: フィッシングや中間者攻撃に強い、よりセキュアな認証要素を組み合わせます。
-
中リスクの資産/サービス:
- 例: 一般従業員のSaaSアカウント(メール、ファイル共有)、社内ポータル
- 推奨MFA:
- 認証アプリによるワンタイムパスワード(TOTP)
- 認証アプリによるプッシュ通知
- SMS認証(ただし、SIMスワップのリスクを理解した上で慎重に検討)
- ポイント: 利便性とセキュリティのバランスを取りつつ、パスワード単独より大幅に強度を高めます。認証アプリが一般的です。
-
低リスクの資産/サービス:
- 例: 一般公開されている情報へのアクセス、影響の少ない社内システム
- 推奨MFA:
- 必須としない場合も多い
- SMS認証など比較的容易なMFAを適用する場合がある
- ポイント: 中小企業では、可能な範囲で広くMFAを適用することが望ましいですが、リソースが限られる場合は優先度を下げます。
重要なのは、この分類と推奨はあくまで一般的な例であり、自社のビジネス内容、保有するデータの種類、従業員のITリテラシー、利用しているシステムのMFA対応状況などを考慮して、柔軟に決定することです。
ポリシー策定と継続的な見直し
リスク評価に基づき決定したMFA適用レベルは、組織全体のセキュリティポリシーに反映させることが重要です。どのサービスや資産に対して、どの種類(またはどの強度レベル)のMFAを必須とするかを明記します。
また、デジタル環境や脅威は常に変化するため、一度MFAの適用レベルを決定したら終わりではありません。新たなサービスを導入したり、ビジネス環境が変化したりする際は、定期的にリスク評価とMFA適用レベルの見直しを行う必要があります。
まとめ
中小企業が効果的にMFAを導入・運用するためには、単にMFAを有効化するだけでなく、自社のデジタル資産が持つリスクを正しく評価し、そのリスクレベルに応じた適切なMFAの適用レベルを判断することが不可欠です。
まずは自社のデジタル資産やサービスを棚卸し、その重要度に基づいて分類することから始めましょう。次に、考えられる脅威と脆弱性を考慮してリスクを評価し、高リスクなものから順に、より強固なMFAを適用していきます。このプロセスを通じて、限られたリソースを最大限に活かし、組織全体のセキュリティレベルを無理なく向上させることが可能になります。
本記事が、中小企業のシステム担当者の皆様が、より戦略的にMFA導入を進めるための一助となれば幸いです。